2009-11-15 Sun
ファンではないのですが、マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を観てきました。ラジオでこれを見たアナウンサーの人が、
「すごいです、これ、見ないと損です!」
と話していたのを聞き、2週間だけの期間限定と聞き、まあ、行ってみるかと行ってみました。
これは、もともとは今年7月にロンドンで行われる予定だった、マイケル・ジャクソンのコンサートに向けた練習風景を撮ったもので、マイケル自身の個人的な記録のためだったとか、コンサートのDVDを出すときの特典映像として、メイキングを紹介するために撮っていたと聞きました。
が、
が、
これはいいです。
80年代の「スリラー」や「バッド」に代表されるような、マイケル全盛期に中学・高校時代をすごした私は、マイケル・ジャクソンのアルバムはよく聴いていたのですが、マイケル来日に熱狂的な興奮を感じることもない、そこらへんの一介のリスナーでしかありませんでした。
さらに、その後の、度重なるマイケルの整形手術の話や金遣いが荒いとか、子どもに対しての対応がどうだとかいうゴシップも、
「そうなの~?」
ぐらいにしか興味がなく、今回のコンサートに至っては、
「お金が足りなくなったから、やるのかな?」
ぐらいの受け止め方でした。
ごめんなさい、マイケル!
マイケル本人の生活や考えていること、やってきたことの本当のところなんて、誰も知る由もありませんし、メディアの伝えるマイケル像もそれぞれに意図があって行われるものですから、正確にマイケル・ジャクソンを伝えているものなどほとんどないのでしょう。
それを知る必要もないのだけど、この映画はすごかった!
二週間限定の言葉に乗っちゃった自分を笑いながらも、
「いや、見といて正解! 私、えらい!!」
と言いたくなりました。
映画が終わった後、しばらく客席からは席を立つ人どころか、声も上がりませんでした。
この感動を伝えたいけれど、それを伝える上等の言葉が見つからない。
まったく、自分の言語能力の低さを感じました。
下手に言葉にすれば、チンケになるだけ、そんな気がしました。
そんな言葉足らずですが、この感動を一言で言えと言われたら、もう、とにかく、何と言っても、
「かっこいい」
のです。
マイケルを最高にかっこよく見せるために音楽も照明もダンサーの踊りもすべて製作されているというのはわかっていても、これはもう、マイケルだからなのだと体の奥から震えが来るようでした。
集まったダンサーは超一流で、きっとマイケルよりも踊りのうまさで言えば、上をいく人もいるのでしょうし、マイケルが一番うまく見えるようにするのが演出なのだとは思うのですが、うまさに勝る魅力というものに打ちのめされました。
映画ですから、制作側がある意図を持って編集をしているのだとはわかっていながら、音の一つ一つにこだわり、それをまわりのアーティストに細かく指示するマイケルの姿は、ワイドショーをにぎわせていたマイケルではなく、まさしくエンターテイナーでした。
一番うれしかったのは、マイケルが歌う歌の一つ一つを昔と同じように歌ってくれたこと。
よく往年の歌手が昔売れた歌を、昔とは違ったアレンジで聴かせるということはよくある話です。
表現者としては、いつも同じように歌うのはやはり面白くはないでしょうし、年齢を重ねる中で「今はこの歌い方で歌いたい。これが今のベストだ」ということはあるのでしょう。
マイケルはそれを一切しませんでした。
自分たちが青春時代に聴きなれた曲のまま再現し、かつあの頃よりも格段にダンスがうまい。きれい。かっこいい!
昔とは違う、手を入れられた曲は、聴く側にとっては同じ曲とはいえ、別のものになってしまうということを表現する側のマイケルはよくわかっていたのでしょう。
ここに一番、感動し、それまで「ふ~ん」で過ぎていたマイケル・ジャクソンの存在が急に大きなものとして迫ってくるようでした。
そして、コンサートのために準備された演出の数々。
これは、このコンサートは見てみたかった。
DVDでもいい、実際にやってみてほしかった。
そう思わずにはいられません。
舞台セットもさることながら、昔の映画にマイケルが登場する形で作られた映像や影を利用した演出、ファンがどこでどう反応し、盛り上がるか計算されたステージの進め方。
映画が終わりに近づくにつれ、
「ああ、この人はもうこの世にいないんだ」
と切なくなってきました。
6月に訃報を聞いたときとは、明らかに私の心情は変わっていました。
本当にもったいない人を亡くした。
もっともっと表現していてほしかった。
マドンナが
「私たちは彼を見捨てたのです」
というようなことを言ったそうですが、その意味が少しわかったような気がしました。
今年は本当にスターが次々と亡くなります。
スターにとって、人生は幸せなものなのかどうか、そんなことを考えながら、眠りました。
2009-07-24 Fri
近所で一番大きなレンタルビデオ店に行った。フェデリコ・フェリーニ監督の『道』という映画を探していた。
レンタルビデオのお店の中というのは、なんであんなに目的のものが見つけにくいのだろうか。
半年に1度ぐらいしか行かないので、ビデオの並び順に慣れていないというのもあるが、いつ行っても時間ばかりかかってしまう。
店員さんに訊くと、すばやく見つけてくれるのだが、私がお店に行くのは、たいてい「1本100円」なんていうセールのときだから、店員さんも忙しく、そうそう声をかけるチャンスがない。
「新作」「準新作」「サスペンス」「青春」「ラブロマンス」「感動」…と並べられている項目では、どれにあたるのかなと困ってしまう。
しかも、私が探している『道』という映画は私が生まれるよりずっと前の映画で、お店にあるのかどうかも怪しいのだ。
「クラシック」という項目のところに行ってみた。
チャップリンの作品や『国民の創生』なんていう、映画が生まれた初期の時代のものが復刻版で並んでいた。
しかし、『道』は見つからなかった。じゃんねん。
結局、見つけられずにお店を出た。
『道』を初めて見たのは、小学生の頃。
全体に暗く、物悲しい雰囲気で、出てくる男も女も幸せそうではなかった。
親がテレビで見ていたのを一緒に見ただけだったが、妙に記憶に残っていて、「あれは本当はどんな映画なんだろう?」と気になっていた。
それを知りたくて探しているのである。
「さよなら、さよなら、さよなら…」で有名な淀川長治さんが、ラジオ番組の中で、
「キスシーンがあるようなラブストーリーの映画は、子どもには何歳ぐらいから見せたらいいのですか?」
という手紙に、
「いつでも見せてください」
と答えていた。
これは、なんでもかんでも無責任に与えろという話ではなく、子どもは子どもなりに感じるものがあり、いい映画は何歳からでも見せてくださいというような話の流れで出た言葉だと記憶している。
大人になった今思うと、淀川さんのおっしゃるとおりで、子どもの頃見た映画(ドラえもんとか子ども向けのじゃなくて)で妙に記憶が残っているものが多い。
『鉄道員』のお父さんの孤独は話がわからなくても充分伝わってきたし、『ひまわり』の切なさはソフィア・ローレンの表情が十二分(じゅうにぶん)に伝えてくれた。
『哀愁』のヴィヴィアン・リーの美しさは子ども心にも哀しいほどだった。
『七人の侍』は、最近見直してみたら、子どものころ見たときの感動の方が大きくて、拍子抜けしたほどだ。
ストーリー自体の理解は大人になってからの方が深いが、感動ということになると、これは大人も子どもも変わらないような気がする。
最初の感動が大きいと、次に同じものを見たときの落胆も大きいんじゃないかなんていう怖さはあるが、やっぱり見たいなぁ、『道』。
2009-01-31 Sat
映画『誰も守ってくれない』観てきました。以前、中学校教師をやっている知り合いから
「子どもたちにいくら『命を大事にしろ』と言っても伝わらない。
俺は、人を殺しちゃったらどうなるのかって話をするんだ」
と聞いたことがあります。
「殺人犯の家族は、ばらばらになる。今住んでいる家にはいられない。仕事はなくす。遠くで生活できればいいけれど、親は裁判所に出向かなければいけないから、そこにいなければいけない。世間からの目にさらされて生きていくんだ。自分の家族がそうなったらって考えさせる」
と言っていました。
この映画は、その話の実写版のようでした。
最初に流れる伸びやかで穏やかな歌声とは裏腹に、私の動悸は上がりっぱなし。
息が苦しいほどでした。
次々にやってくる執拗なまでのマスコミの取材に加え、ネットの暴走。
私は映画を観ているだけで、加害者でも被害者でもないのに観るに耐え難く、途中で席を立ちたくなりました。
まるで犯罪被害者の家族を取り巻く現実を描いたドキュメンタリーのようでした。
映画が始まっても、しばらくしゃべり続けていた前の席の人たちも気がつけば無言。
映画を観ている人たち全体が画面から突きつけられる現実に耐えているという感じでした。
犯人の妹を保護する刑事(佐藤浩市さん)やペンションの主人、犯人の妹など、それぞれにいろんなものを背負っていて苦しんでいるのに、さらに現実は容赦がない。
観ていてやりきれません。
事件を一面的に見て、お気楽な正義で一刀両断することの怖さを思い知らされたような気がしました。
映画が終わった後、「あぁ、汗かいちゃったわ」という声も聞こえました。
私も自宅に戻ってから、体中に疲労を感じました。
でも、ぜひ観ていただきたい映画です。
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